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意識の行方

気がつけば最終更新が4年前だった。久しぶりの小さな雑記。✴︎私の小さなころきめたこと、それは、先生の目をみて授業のお話を聞くこと、だった。忘れそうになれば、いつも座り直して話を聞こうとした。内容が難しくって理解できなかった数学も、聞く姿勢だけは先生に褒められた。ただ、そんなちいさなことですら、そこに向かう意識が途切れると散り散りに無くなってしまう。どんな意識をもって日々を過ごすか、改めて考えている。嘘のない、澄んだ光のある方に常に進みたい。それには、意識を絶やさない軽やかな努力が必要だと思う。✴︎最近いろんな話を聞いて、何も深く考えていない自分に若干しょげることがある。自分のことは直感に頼っていて考える前に結論が出ていることが多い。会話の中で、もっとうまいこと言えるのでは?ここで何か的を得たことを言いたい!そんな雑念が浮かぶのはいいが、肝心の中身が全く思いつかない。そのくせ差し込まなくていいところで何か余計な一言を発している気がする。喋りたがりなのに喋りが一向に成長しない!文章は書き直せるからいいんだけど。急成長は難しそうなので、まずは話を最後まで聞き、思いやりを持って素直に感じることを返せるようにしたい。✴︎練習して、ペーパードライバーを脱出した。身体の小さな手術をした。引っ掛かりを解くような、そんな1月。まだまだこれから。ここで止まらないことが、私にとっての課題。

こころの羅針盤

今年も知床へ流氷がやってきた。見渡す限り、水平線がびっしり流氷で埋め尽くされる。どこまでも白くて、壮大だ。ピシピシと振動として足元に伝わる、地球の呼吸ににただただ圧倒された。この先も、毎年このリズムが続くようにと祈りに似た気持ちが湧く。最近、なんだかすこし心細いのでここにお守りの言葉を記しておこうとおもう。20歳くらいの頃、露頭に迷っていたわたしに、敬愛する写真家の石川直樹さんが「好きこそものの上手なれ、人生案外短いよ」という言葉をかけてくれた。そのときのほかの言葉は忘れてしまったけれど、何をどうしようにもこの一言があらゆる局面でわたしに問いかける。そしてお守りのように、羅針盤のように導いてくれる。わたしはどうなの?まだまだ悩む23歳。好きなことも、やりたいこともある。(せっかくだからこれも記そう)わたしは山での時間がすき、生き方としてのヨガがすき、様々な民族の紡ぐ暮らしがすき、知ることがすき、出会うこと、伝えることもすき。そして自然に溶け込むことがだいすき。小さな山小屋をしたい。春から、冬の始まりまで。できれば眺めの良い稜線、それか夜フクロウの声が聞こえる森のあるところで。山好きな面白い人たちとストーブ囲んでおしゃべりして、酒飲んで、山走って、あったかいご飯をだす。朝はヨガをする、季節の移ろいを全身で受け止める。あとの休みは、南の島へいって、海へザブンッと。心強い連れあいの力をいっぱいかりて、実現したい!アイヌのアットゥシとか、沖縄の上布とか愛しい衣装を自分の目で見にいくことも。まだ遠いところは見えないけれど、すきという気持ちを胸に、とびきり素敵に生きていきたい。愛を胸に、いま、この瞬間を生きる。好きこそものの上手なれ。時には彷徨うことも素敵なのだとおもいながら!(なんだかわくわくしてきたぞ)

満ち欠けの周期

35歳以降の時間は何かその人の育て上げてきたものが花開くときなのではないか、と最近よく思う。なんというか、いちだんと軽やかな心持ちの人が多い気がするし、種を作るように、なにか深めるというフェーズに入っている人が多い気がする。 もっぱらそれまでの時期は、種が芽を出し、根を張り、少しずつ自分のみつけた光のほうへグンと伸びていく時期だと同時に思うのだ。その先は、もっと軽やかになるのかな。前提として、くらべるとかでなく、わたしの周りの大人の人たちをみて、わたしがおもったことだ。そしてわたしのいる環境は少々特殊だともおもう。(前前提として、みんながずっと"途中"の素晴らしさ、美しさを存分に放っている)わたしは2019年、種を撒く前の地ならしか、根を張り始めのような時間を過ごしたな、と思っていて、それは自分の意思ではどうにもならない次元の、ある種強制的で、でも必要に違いない時間だった。ただひれふすように身を委ね受け止めることに精一杯だったのだけど、なんだか2020年、またむくむくと面白いこと、素敵なことが起きる気がしている。(20代の過ごし方が大きく30代で花開くんだって)満ちていくこと、欠けていくこと、それは、ただ在ること。月みたいで、美しいな。

トランジットインインチョン

仁川でトランジット、7時間程あったので、なんとなく海に行くことにした。空港から手近に海岸がない調べると良さげなところが2つでてきた。空港が海沿いなのだ。無いと悲しい。候補を手に入れた私は空港から近いのはどれか、と身振り手振りできいてみると、Eurwangni Beachというところらしく、何度聞いても発音が覚えられないので、タクシーおじさんにビーチの名前を見せてあとは身を委ねた。ちゃんと15分くらいだろうか。おじさんのおかげで無事到着する。水は綺麗ではないが、眺めはとても美しい。岩に登って夕日を待つ。声をかけてくる人に英語で返してみても通じない。韓国語に至っては、ちんぷんかんぷんなので、ニコニコするしかなくなる。困っていると、女の人たちが何度も助けてくれた。優しさが沁みます。極寒の中でホカホカのコーンポタージュを与えられたようなかんじ。仁川空港には、ダンキンドーナツがあるということだけ事前に知っていたので、村上春樹の「ダンスダンスダンス」をここで読もうと持ってきた。本の中で「僕」を名乗る主人公が、ダンキンドーナツで朝食をとるシーンがとてもすきなのだ。どうしても再現してみたかった。イメージと違ったが再現。飛行機では、リメンバー・ミーという映画を見て泣いた。心なしか韓国のCAさんは優しいきがする。早朝のスリランカは空から見下ろすと星空のようだ。2018年2月日記より

満月をのむ、ビッグイシューをよむ

5/19日曜日朝5時にパチリと目が開く。7時前、スタジオに行く前に東本願寺に立ち寄れた。いつか始めた習慣が地味に続いている。夕方いつもより早くスタジオを抜けさせてもらい寺尾紗穂さんのライブへ。朝からスタジオでCDを流していたが、生で聴くとやはりちがう。空間が振動していた。どこまでも澄んでいて夜空に浮かぶ星屑のような気持ちになる。お客さんはみんな思い思いの聴き方をしていた。紗穂さんは早歩きで可愛いかった。今夜は何処かの神社で満月を水に映してのむ儀式があるらしい。私もやってみようと水を入れたコップを持って外に出てみたが月は隠れていた。5/22水曜日つれが休暇で下山している。明け方、彼の鼓動を聞きながら、心臓が動かなくなったら人は死んでしまうのだ、とおもった。大切な人に何か起きた時、わたしには何ができるのだろう。明日は晴れたら泳ぐつもりだ。5/24金曜日樹木希林さん生前の映像をテレビでみる。不動産の話をしていたのだが、その中で「全ては地球にお借りしているのだから無理にどうこうしようと思わなくなった」みたいなことを言っていた。私もその通りだとおもう。ジタバタしてもかなわない。5/26日曜日朝、卒業生の本の原稿修正。締め切りの次の日に半泣きで書き上げた。テーマからズレた心当たりがあるので色々言われると思う。ベストは尽くしたが、いつも収まりのいい話は書けない。久しぶりにビッグイシューを買った。オーストリアでビッグイシュー事務所の炊き出しに参加してから、販売してる方に会うたび手に取っている。前いた販売員さんから別の人に変わっていた。ビッグイシューには、薄いけど厚い雑誌、という言葉がまさに当てはまる。 いつも面白い。炊き出しに参加した日のことは記憶が鮮明で、朝飲んだマシュマロの浮いたホットチョコレートや小道の木漏れ日の様子、あらゆることを覚えている。メルボルンを再訪したい一番の理由はその日の記憶があるからだろう。

奥三河、車窓より

午前2時、出先の連れから驚くほどシュンとした声で電話あり。訳を聞くと色々あってやむを得ず愛車の窓を肘で割ったと!大丈夫じゃないなと思いながらも眠たいので寝た。彼はトレイルランの大会で3時にシャトルバスに乗り、6時から走り始める。今回は70キロ。山には常軌を逸した人たちが集まるなと毎度思う。こういう人たちがいることは非常に頼もしい。しかしながら、穴の空いた愛車を置いて走るのはさすがに心が痛む様子。私もかなしい。8時半、家族揃って投票へ。公民館前のロータリークラブの桜が満開できれい。落ちた蕾や花を拾いノートに閉じ込めた。その足で1人名古屋へ。 到着して昼食に味噌きしめんをたべる。もちもちとぅるん、という厚みのある食感に感動!赤味噌も空腹の胃にしみる。後からカウンターでとなりに掛けたお姉さんは、開口一番生ビールと言っていた。良い。ビールときしめんという組み合わせ、渋いなあ、と思いながらめんを啜っていたら、七味でむせた。食事を済ませ、名古屋から豊橋市まできて、そこからは2両編成の鈍行電車でのんびりと湯谷まで向かう。車窓から望眺める景色の新鮮なこと!のどかな暮らしぶりと、桜、山桜、モクレン、菜の花、野花など春の彩りに心がふわりとする。谷を流れる川が深く透き通った翡翠色だし、いろんなひとが電車に手を振っていて和やかだ。あ、もうすぐ駅に到着する。それにしても、さまざまな変化を感じることができる心が人の仕組みとして刻み込まれているってすごいなぁ_____