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こころの羅針盤

今年も知床へ流氷がやってきた。見渡す限り、水平線がびっしり流氷で埋め尽くされる。どこまでも白くて、壮大だ。ピシピシと振動として足元に伝わる、地球の呼吸ににただただ圧倒された。この先も、毎年このリズムが続くようにと祈りに似た気持ちが湧く。最近、なんだかすこし心細いのでここにお守りの言葉を記しておこうとおもう。20歳くらいの頃、露頭に迷っていたわたしに、敬愛する写真家の石川直樹さんが「好きこそものの上手なれ、人生案外短いよ」という言葉をかけてくれた。そのときのほかの言葉は忘れてしまったけれど、何をどうしようにもこの一言があらゆる局面でわたしに問いかける。そしてお守りのように、羅針盤のように導いてくれる。わたしはどうなの?まだまだ悩む23歳。好きなことも、やりたいこともある。(せっかくだからこれも記そう)わたしは山での時間がすき、生き方としてのヨガがすき、様々な民族の紡ぐ暮らしがすき、知ることがすき、出会うこと、伝えることもすき。そして自然に溶け込むことがだいすき。小さな山小屋をしたい。春から、冬の始まりまで。できれば眺めの良い稜線、それか夜フクロウの声が聞こえる森のあるところで。山好きな面白い人たちとストーブ囲んでおしゃべりして、酒飲んで、山走って、あったかいご飯をだす。朝はヨガをする、季節の移ろいを全身で受け止める。あとの休みは、南の島へいって、海へザブンッと。心強い連れあいの力をいっぱいかりて、実現したい!アイヌのアットゥシとか、沖縄の上布とか愛しい衣装を自分の目で見にいくことも。まだ遠いところは見えないけれど、すきという気持ちを胸に、とびきり素敵に生きていきたい。愛を胸に、いま、この瞬間を生きる。好きこそものの上手なれ。時には彷徨うことも素敵なのだとおもいながら!(なんだかわくわくしてきたぞ)

満ち欠けの周期

35歳以降の時間は何かその人の育て上げてきたものが花開くときなのではないか、と最近よく思う。なんというか、いちだんと軽やかな心持ちの人が多い気がするし、種を作るように、なにか深めるというフェーズに入っている人が多い気がする。 もっぱらそれまでの時期は、種が芽を出し、根を張り、少しずつ自分のみつけた光のほうへグンと伸びていく時期だと同時に思うのだ。その先は、もっと軽やかになるのかな。前提として、くらべるとかでなく、わたしの周りの大人の人たちをみて、わたしがおもったことだ。そしてわたしのいる環境は少々特殊だともおもう。(前前提として、みんながずっと"途中"の素晴らしさ、美しさを存分に放っている)わたしは2019年、種を撒く前の地ならしか、根を張り始めのような時間を過ごしたな、と思っていて、それは自分の意思ではどうにもならない次元の、ある種強制的で、でも必要に違いない時間だった。ただひれふすように身を委ね受け止めることに精一杯だったのだけど、なんだか2020年、またむくむくと面白いこと、素敵なことが起きる気がしている。(20代の過ごし方が大きく30代で花開くんだって)満ちていくこと、欠けていくこと、それは、ただ在ること。月みたいで、美しいな。

トランジットインインチョン

仁川でトランジット、7時間程あったので、なんとなく海に行くことにした。空港から手近に海岸がない調べると良さげなところが2つでてきた。空港が海沿いなのだ。無いと悲しい。候補を手に入れた私は空港から近いのはどれか、と身振り手振りできいてみると、Eurwangni Beachというところらしく、何度聞いても発音が覚えられないので、タクシーおじさんにビーチの名前を見せてあとは身を委ねた。ちゃんと15分くらいだろうか。おじさんのおかげで無事到着する。水は綺麗ではないが、眺めはとても美しい。岩に登って夕日を待つ。声をかけてくる人に英語で返してみても通じない。韓国語に至っては、ちんぷんかんぷんなので、ニコニコするしかなくなる。困っていると、女の人たちが何度も助けてくれた。優しさが沁みます。極寒の中でホカホカのコーンポタージュを与えられたようなかんじ。仁川空港には、ダンキンドーナツがあるということだけ事前に知っていたので、村上春樹の「ダンスダンスダンス」をここで読もうと持ってきた。本の中で「僕」を名乗る主人公が、ダンキンドーナツで朝食をとるシーンがとてもすきなのだ。どうしても再現してみたかった。イメージと違ったが再現。飛行機では、リメンバー・ミーという映画を見て泣いた。心なしか韓国のCAさんは優しいきがする。早朝のスリランカは空から見下ろすと星空のようだ。2018年2月日記より

満月をのむ、ビッグイシューをよむ

5/19日曜日朝5時にパチリと目が開く。7時前、スタジオに行く前に東本願寺に立ち寄れた。いつか始めた習慣が地味に続いている。夕方いつもより早くスタジオを抜けさせてもらい寺尾紗穂さんのライブへ。朝からスタジオでCDを流していたが、生で聴くとやはりちがう。空間が振動していた。どこまでも澄んでいて夜空に浮かぶ星屑のような気持ちになる。お客さんはみんな思い思いの聴き方をしていた。紗穂さんは早歩きで可愛いかった。今夜は何処かの神社で満月を水に映してのむ儀式があるらしい。私もやってみようと水を入れたコップを持って外に出てみたが月は隠れていた。5/22水曜日つれが休暇で下山している。明け方、彼の鼓動を聞きながら、心臓が動かなくなったら人は死んでしまうのだ、とおもった。大切な人に何か起きた時、わたしには何ができるのだろう。明日は晴れたら泳ぐつもりだ。5/24金曜日樹木希林さん生前の映像をテレビでみる。不動産の話をしていたのだが、その中で「全ては地球にお借りしているのだから無理にどうこうしようと思わなくなった」みたいなことを言っていた。私もその通りだとおもう。ジタバタしてもかなわない。5/26日曜日朝、卒業生の本の原稿修正。締め切りの次の日に半泣きで書き上げた。テーマからズレた心当たりがあるので色々言われると思う。ベストは尽くしたが、いつも収まりのいい話は書けない。久しぶりにビッグイシューを買った。オーストリアでビッグイシュー事務所の炊き出しに参加してから、販売してる方に会うたび手に取っている。前いた販売員さんから別の人に変わっていた。ビッグイシューには、薄いけど厚い雑誌、という言葉がまさに当てはまる。 いつも面白い。炊き出しに参加した日のことは記憶が鮮明で、朝飲んだマシュマロの浮いたホットチョコレートや小道の木漏れ日の様子、あらゆることを覚えている。メルボルンを再訪したい一番の理由はその日の記憶があるからだろう。

奥三河、車窓より

午前2時、出先の連れから驚くほどシュンとした声で電話あり。訳を聞くと色々あってやむを得ず愛車の窓を肘で割ったと!大丈夫じゃないなと思いながらも眠たいので寝た。彼はトレイルランの大会で3時にシャトルバスに乗り、6時から走り始める。今回は70キロ。山には常軌を逸した人たちが集まるなと毎度思う。こういう人たちがいることは非常に頼もしい。しかしながら、穴の空いた愛車を置いて走るのはさすがに心が痛む様子。私もかなしい。8時半、家族揃って投票へ。公民館前のロータリークラブの桜が満開できれい。落ちた蕾や花を拾いノートに閉じ込めた。その足で1人名古屋へ。 到着して昼食に味噌きしめんをたべる。もちもちとぅるん、という厚みのある食感に感動!赤味噌も空腹の胃にしみる。後からカウンターでとなりに掛けたお姉さんは、開口一番生ビールと言っていた。良い。ビールときしめんという組み合わせ、渋いなあ、と思いながらめんを啜っていたら、七味でむせた。食事を済ませ、名古屋から豊橋市まできて、そこからは2両編成の鈍行電車でのんびりと湯谷まで向かう。車窓から望眺める景色の新鮮なこと!のどかな暮らしぶりと、桜、山桜、モクレン、菜の花、野花など春の彩りに心がふわりとする。谷を流れる川が深く透き通った翡翠色だし、いろんなひとが電車に手を振っていて和やかだ。あ、もうすぐ駅に到着する。それにしても、さまざまな変化を感じることができる心が人の仕組みとして刻み込まれているってすごいなぁ_____

冬のピラウトルイ

北海道上空、飛行機の窓から見える景色。あたり一面が雪を纏い、鉛筆画のように浮き上がった様子に息をのむ。まるで別の惑星にきてしまったかのよう。胸が高鳴り今すぐ飛び出したい衝動にかられる。空港に到着し外にでると、迎えに来てくれたパートナーを発見。一ヶ月ぶりに会う彼は雪焼けし、ほっぺには凍傷の痕がある。年中標高の高いところで過ごす彼は山のエキスパートで一緒に旅をするとすごく面白い。変わらず元気で嬉しい。空港からそのまま平取へ向かう。町や雪の具合など窓から見える景色が少しずつ変化するのでずっと見ていても飽きない。牧場の馬や牛は草を食み、沙流川の表面はところどころ凍っている…森の中でキタキツネが立ち止まり、一度こちらをみて走り抜ける姿がたまらなく可愛かった。ちょっとしたことを確かめるたび、私は今北海道にいるのだと嬉しい気持ちがこみ上げる。 2時間後に到着した平取町二風谷は、静かで威厳のある空気が漂っていた。神の鳥フクロウを掲げた民宿、アイヌの男女の木彫り像、アイヌ料理のお店、伝統工芸店…目に飛び込んでくる情報が全て新鮮だ。目的地は平取町アイヌ文化博物館。博物館は面白く、アイヌの知恵を体験できたりととても充実した内容で展示に張り付くようにしているとあっという間に時間が経つ。(幼馴染みがここで働いていたのだが、たいそう可愛がられていたようで話をきいて私が嬉しくなった。)ここに来てアイヌを愛するあたたかい人たちにも出会い、話す中で彼らの姿から感じたのは彼らのそばにあるアイヌの文化や精神を後世にむけ大切に受け継ごうという熱量だった。言葉の端にそれが柔らかく伝わってくる。アットゥシ織の様子をみたいと職人さんに言うと、夏来たらいいと教えてくれた。それにしても、衣装はあまりの美しさで口がぽかんと開いてしまう。着古され、とろりとしているものなんか、特にたまらない。沖縄の上布やアイヌのアットゥシを見ると口に入れてみたくなるのは私だけではないはずだ。(アットゥシは実際に口に含むと香りのまんまの、なんとも言えない味なのだが)宿に到着したその夜、ひとり部屋をぬけだし温泉へ行った。誰もいない。外湯で吹雪の中、お湯に浸かっていると不思議な気持ちになった。すさまじいはやさで発展を遂げるこの時代の先、私たちは形に見えない大切なものを忘れずに握りしめ、また新しいところへ歩き続けられるのだろうか。白い世界のなか水面にふれジワリと消える雪を眺めながらぼんやり考えていると、頭に雪が積もっていた。____ピラウトルイはアイヌの言葉で「崖の間」という意味です。今は平取と呼ばれています。多良間でのつづきをかこうと思いつづけているけれど、色んなことがありすぎてまとめられずにいます。私にとっての核となっていくに違いない旅だったので記録をまとめたいのですが、、、いつになることやら。